“あの頃は良かったなぁ…”
なんて言い出したらおっさんの仲間入りなんですけど、男爵も気付けば40代に乗っかって、
子供の頃なら数時間ぶっ通しでゲームして遊べていたのが、
今や1時間もすれば睡魔が襲ってきたりしちゃいます^^;
据置きのゲーム機なんて、起動させるのも面倒になってたり(笑)
次の日の仕事の事とか考えたら、(あぁ、今日はもう寝よかな)とか思ったりしますし。
昔は徹夜でゲームできましたけどね。
それはそうと、今の若い子供達とか大人の方、ゲームに限った事じゃありませんけど、
非常に便利な世の中になったと思いませんか?
そう…ネットです、インターネット♪
今回は、今のゲーム好きな子供達は想像もつかないような、昭和〜平成初期の頃のリアルなゲーム事情を
自分の経験をふまえて話したいと思います。
Contents
◯ゲームとネットの素敵な関係
インターネットが当たり前に普及した事で、《ゲーム》と《インターネット》と聞いて多くの方が思い浮かぶのは、
「スマホなんかのアプリゲーム」「オンラインゲーム」「ダウンロードするゲーム」「マルチプレイゲーム」etc…
いずれもネットの普及によって発展してきた物です。
後はゲーム好きの方のネットの使い方としては、
発売前の新作がどんなゲームなのかをチェックしたり、攻略法を調べたり…
YouTubeなんかの動画でも”ゲーム実況”なんてのがありますから、
本当に調べようと思えばいくらでもすぐに情報を知る事ができます。
少し強い敵に遭遇して倒し方が分からなくても、ネットで
[〇〇(ゲームの名前) ◯(敵の名前) ]
みたいな形で検索をかけて、更に詳しく知りたいなら、
その後に[攻略法]とか[倒し方]なんてワードを入れればモノの数秒で知りたい情報が表示されます(^^)/
◯男爵の子供時代は
男爵の小、中学校時代、ネットなんて周りで誰もしてなかったのはもちろん、
高校時代で、ようやく「ポケベル」でしたからね、普通の電話や手紙以外の伝達手段は^^;
そんな時代ですから、ゲームで何か分からない所が出てきたらもう大変です(笑)
同じゲームを遊んでいる友達がクラスにいてれば、わずか10分の休憩時間の度にその友達と
情報を交換しあったりしてましたし、
休憩時間が終わる直前に友達が、「Aの街で〇〇って武器取ったやろ?」
とか言い出して、そんな事知らずに進めてた時なんかは、
「えっ?そんな武器あそこにあった?どこに??」
とか気になる訳です。で、詳しく聞こうとしてる時に始業のチャイムが鳴って、
泣く泣く自分の席に戻る…
もうそうなったらその授業中は頭の中、自分の取ってない武器で頭いっぱいな訳ですよ(笑)
(あんな街にそんなんあったかな?上のドア開かない所があったけど、そんなん入られへんし…)
みたいに。
で、授業が終わったら速攻でまた友達の席に行って続きを教えてもらう(^^)
同じゲームをしてる友達がいてたら、その繰り返しです♪
マイナーなゲームなんかで、周りで誰もそのゲームをしてない時は悲惨です。
調べようもないし、誰かに聞いても誰も分かりませんから。
◯飽くなき探究心
今のゲームだと、大体“エンディング”ってありますよね?
昔もエンディングがあったゲームも当然あるんですけど、なかったゲームもあるんですよね。
今ならYouTubeなんかで、そのまんまエンディングを配信されてるゲームだってあります。
それがいいのか悪いのかはともかく、自力でクリアできないゲームでも、
上手い人のプレイを見たりして、真似たりはできるんです。
男爵も少し前だと『モンハンワールド』で、他の上手な人のプレイ動画なんかを見たりして、
感心したり、少しでも自分でもそのプレイを活かせないかを勉強してたりしてました。
で、男爵なんかの子供時代…
エンディングがないゲームなんかは本当に恐ろしくて、
そもそも“エンディングがない”のかあるのかも分かっていません。
例えばファミコン初期に発売された『マリオブラザーズ』。
エンディングってあると思いますか??
今はネットで調べればすぐに答えが分かりますけど、[ない]んです、エンディング^^;
延々といくつかのステージがループしていく感じで、終わりはありません。
でも、小学生の男爵達には、あるのかないのかは誰も断言できません。
エンディングを見た友達が誰もいてない=エンディングは存在しない
のか、
そもそも誰も最終ステージに辿り着けていないだけ、なのか…
誰も確信を持って答えられないんです。
皆こぞってチャレンジしてましたよ、本当に。
男爵もステージ(ゲーム内の呼び方はフェイズ)98までの表示の後もひたすら挑み続けて、
表示は98から変わらないんですけど、自分でカウントしながら、120面くらいまでは到達できた覚えがあります。
まぁどこまで進めてもエンディングがないって知ったのは最近ですけど(笑)
そんなゲームは当時たくさんありましたからね。
“絶対(エンディング)あるって!”
“いや、ないと思うわ”
みたいなやり取りは、子供同士で日本全国あったはずですよ、きっと♪
◯ドキドキは…減ったかな?
今でも男爵はゲームしますし、大人になったってのも当然ありますが、
当時と比べると、ゲームでのドキドキはかなり減りました。
情報が溢れてますから。
ネットで見なきゃいいんですけど、”自分で悩んで考える”って機能が低下してるんでしょうね、男爵。
少し悩んだりするだけでも、つい調べちゃったりして。
敵の事を調べたら、そこにその敵がドロップするアイテムまで書いてあって、
(あ、その敵があれ落とすんやったら、ここで買わなくていいや)
みたいに、先を知ったプレイについついなってしまったり…。
本当はね、何も予備知識を入れずにまっさらな状態でゲームをするのが、
一番楽しめると思います。
やられてもやられても、あーでもない、こーでもないって悩みながら。
“えっ!ここでこんなんなるの!!”
とかストーリーに衝撃を受けたり。
作った事がないから分かりませんけど、きっとゲームを作ってる方達からしても、
先に知識をパンパンに持ってのプレイより、自分で悩んだり迷ったりしながらゲームを楽しんでもらう方が嬉しいと思います(^^ゞ
先に展開が分かってしまうと、映画でもゲームでも”意外性”は皆無ですから。
◯レビューはくせ者
ゲームに限りませんけど、ネットでは大体の商品や映画、コミックなんかでも
“レビュー”ってありますよね?
いわゆる他の人の評価、”口コミ”みたいなやつです。
「この商品はここが良かった」
「ここが面白くない」
とか、よく目にしますよね。
購入前にレビューをチェックするのは、非常に助かる事が多いです。
中には怪しげなサクラのレビューもありますが、やはり実際に買う前にすでに使用、
利用した事がある第三者の感想は気になりますから^^;
今回はゲーム限定の事で書かせてもらいますが、
やはりネットの普及によって、自由に気軽にレビューも書き込む事ができるようになりましたし、
男爵のように自分でブログを書いている人だと、遊んだゲームの感想も色々と書いている人もたくさんいてます。
例えばレビューで悪い事ばかり書かれてたりするようなゲームは、
誰も買いたくありませんよね?
このレビューもくせ者で、見る人の性格にもよると思いますが、
10のレビューの内、8つや9つも悪い評価が書きこまれていたら、さすがに購入はしないでしょう。
問題は2つくらい悪い評価で、後は普通の評価と良い評価ばかりの時。
中にはいてるはずです。
1つ悪い事が書かれていたら、買うのを辞めるような人も。
これは、非常にもったいない場合があります。
所詮レビューは全て自分以外の人の評価です。
昔はいいも悪いも、ゲームの場合は買って自分で遊ぶ以外は、
リアルな友達から聞く感想以外は何も分かりませんでした。
後はゲームショップでのTV画面で流れているデモ画面や、販促用のチラシなんかを見て自分で判断するしか。
当然買って後悔する事もありましたが…。
レビューは、参考にするのはもちろんアリですが、1つ2つの低評価だけを鵜呑みにしてしまうと、
誰もが面白い、楽しいと答える”王道”のゲーム以外に巡り会えません。
◯ゲームだからこそ
人が何と言おうと、自分にとって面白いゲームに出会えればそれでOKなんです。
これが”洗濯機”とか”掃除機”とかだと、しっかりとレビューなんかも見ながら検討した方がいいと思いますが、
[ゲーム]ですからね(^_^)/
多少の冒険でそのゲームを選んでも、そこまでの後悔はないと思います。
今はそれこそネットで、ゲーム画面とかも見れる時代ですから、
明らかに思ってたのと違い過ぎる!って事にはまずなりませんから。
レビュー一つに囚われすぎるのはやめましょう♪
自分にとっての思わぬ”名作ゲーム”に出会える可能性をなくしちゃう可能性がありますよ。
◯タイトルだけでの冒険
男爵が子供の頃は、ネットで検索ができない、雑誌も好きな時に買ってもらえない…
そんな時代ですので、嫌が上にもある程度“冒険”してソフトを選ばざるを得ない状態でした。
『いっき』『ボコスカウォーズ』『東海道五十三次』…
今は分かってるから頭にスッとゲーム画面も浮かびますが、当時は
『ボコスカウォーズ』?アクションなん?それとも”ウォーズ”やし、シミュレーションみたいなやつ??
とか、ほぼ想像で考えてましたから^^;
分かってる状態、ネットがある状態がどれだけ便利なのか痛感できますよね。
男爵世代の人は皆そう思うと思います。
色んな友達とお互いのソフトを貸し借りしながら遊んでましたから、
随分たくさんのゲームで遊んでいましたが。
自分だけじゃなくて、友達もよく分からないままゲーム買ってもらったりしてますから。
それだけ情報が入らなかったんですよ、特に子供には。
◯カードゲームとネット
『シャドウバース』『ハースストーン』『ドラゴンクエストライバルズ』…
ネット時代だからこそ生きるカードゲームはいくつかあって、
上の3つのゲームは、正にその代表格だと言っても過言じゃありません。
ネットだからこそカードも配信によって定期的に増えたり、
環境に強すぎるカードを弱く再設定(ナーフ)したりする事ができるんですが、
反面、残念な事もあります。
それは…ネット上に強い人のデッキが配信される事によって、どうしてもそのデッキに
似かよったデッキが増殖してしまう事です。
“ランキング◯位のデッキ”とか、カードゲームをしてる方なら気になって一度は目にした事もあるはずです。
本人が晒しているのは当然いいんですが、男爵は個人的には”戦略”や”配置”なんかが勝敗を分けるようなゲームにおいては、
何となくネットを見たら全部デッキ公開されてる…とかはちょっとつまらない気がします。
極端な話、昨日ゲームを始めた人でも、何も考えずにデッキをランカーの真似して
作れちゃう訳ですから^^;
まぁ当然そんなすぐには課金する以外に、完全なコピーは出来ないでしょうけど。
「強いデッキ」=「流行りのデッキ」
になるのは当たり前ですけど、ネットに全部デッキが配信される事で、
同じようなデッキ、同じような戦い方の人が増えていくという…
誰でも遊ぶからには勝ちたいですし、勝つ為には強いデッキを真似ていくのは全然間違ってないんですけどね♪
ネットがなかったら、全国の人と戦えるカードゲームだなんて生まれないんですけど、
ドキドキはありますよね?
“強い人ってどんなカード使ってんねやろ?”
“やっぱ〇〇のカードはデッキに入ってんのかな?”
みたいに(^^)
だからカード紹介や効果の説明はあるにこした事はないですけど、
デッキがバンバン公開されてくのは、ドキドキ感としては半減かな?
って思ったり。
“じゃぁネット見るなよ!”
って極論もあるでしょうけどね(笑)
◯まとめ
ゲームだけに留まりませんが、結局の所、ネットがなかった時代より
今の方が何倍も便利になったのは間違いありません。
ネットがあれば、夜中でも朝方でも詰まった時に自分ですぐ調べれますし。
ただね…これは単なるおっさんの戯言なんですけど……
学校の休憩時間や放課後に友達の家に集まって、誰も何の情報もないゲームを
ワイワイ言いながら遊んだりしたのは、男爵個人的には、
不便だけどあの時代で良かったと思える、いい思い出の一つです(^^)/
誰に話すでもなく24時間、すぐに自分で答えが分かる今の方が、
間違いなく便利な時代だと思いますけどね♪
明日も世界に……ケチョップ!